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びわこバプテスト聖書教会

滋賀県大津市の教会です。聖書の学びを中心にした集まりを持っています。

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  posted by at 18:57:37 │EDIT
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バイブルセミナー2013のCD販売

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 21:55:59 │EDIT
当教会ではセミナーの内容を録音できるよう、ボイスレコーダー等を自由に使用していただきました。残念ながら参加できなかった方のためには、見やすい講義のテキストをセットにしたCDをご用意いたしました。是非、ご利用下さい。

①「神の感情」 神には心がある。イエスは感情の表現について弟子達に教えられた。あなたは感情を正しく表せているだろうか?
        
②「キリストが出会われる時」 イエスはどのようにして人々に語られたか?伝道の実践を学ぶ。 
③「Q&A 議論を避ける」 クリスチャンでない友人との会話の中で、聖書とは反対する話題が出たらどのような態度で接すれば良いのか?
  
④「木か?草か?」 どんな小さなクリスチャンでもはこの世に無くてならぬ存在だ。あなたの価値を再確認しよう。
⑤「本当のキリスト教とは?」 教会生活と日常生活の顔とを使い分ける宗教的信者の二面性。本当のクリスチャンはどこに?
 
①・②③・④⑤ 各300円にてご購入頂けます。他のタイトルも編集中です。ご期待下さい。
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ニュートラルからギヤに入れる

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 17:40:01 │EDIT
 Paul, a servant of Jesus Christ, called to be an apostle, separated unto the gospel of God, (The Book of Romans 1:1)

 普通 separate from ~ 「~から別たれる」の形で使うのが一般的。それなのにKJV(英語欽定訳聖書)は separate unto ~ 「~へと別たれる」の形を用いてきます。果たしてこれはどういう事なのでしょう?

 あらゆる宗教は「悪から離れる」ことを教えます。煩悩から、悪癖から、悪行から離れなさいと。しかし人間が罪の中に囚われている以上、そこから離れることはできません。ある程度、努力による行状の改善は可能ですが、人間の根本を変えることは神の御業によるしかありません。

 リンゴの木はリンゴの実を結びます。神の前に人間は罪人です。罪を犯すから罪人になるのではありません。罪人だから罪を犯すのです。しかしイエス・キリストは、この罪の性質の問題を解決して下さるのです。

 ところで神の視点から見れば、「悪から出る事=善に入る事」になりますが、人間の側では悪と善の間にニュートラルな部分があると思い込むのです。イスラエルがエジプトから出て、すぐ約束の地カナンに入れば良いものを、40年間も荒野を彷徨うような…。キリスト者はこの誤った考えを、思いの一新によって変える必要があります。

 禁煙で口が寂しいようならガムを噛めばいい、といった発想で。ニュートラルは危険です。ですからキリスト者として相応しくない時間、場所、金銭、行動から抜け出るだけでは十分ではありません。それらに代わる良きもので満たさねばならないのです。

 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。(エペソ人への手紙4章28節)

 旧約聖書は「盗んではいけない」と言います。新約聖書は「与えなさい」と教えます。誰でも盗みを禁じますが、それは当たり前のこと。しかし与えることは自由、それをしなくても罪に問われません。人はどうしてもその中間の留まってしまう。盗むという行動を与えるという行動に変える。それが当然で喜びだと思える。そんな心の変化こそ恵みの発想によるものであり、また牧会上、具体的指導において反映されるものだと思います。

主座し、僕立つ!

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 22:42:52 │EDIT

 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、(ローマ人への手紙1章1節)

 「教会の主ではなく、キリストの僕である。」パウロの自己認識は明確でした。成功して高慢になったり、失敗して自己卑下したりせず、自分を評価する暇があるなら働けよと。私を裁く方はただ主お一人。他人も自分も自身を裁くことは出来ないのだと。

 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。(コリント人への手紙第二6章8節)

 教会の主はキリストだと説教者は語ります。しかしある教会には二つの座が設けられているようです。一つは建前の座、すなわち霊的という言葉だけで、空想上のものでしかない椅子はキリストに。もう一つは本音の座、すなわち実質的、物理的権力の椅子は教職者が占める。そうあってはなりません。椅子は一つ!主キリストが座し、僕パウロが立って働くのです。


さし苗DAY

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 18:40:15 │EDIT
 今日は名張(三重県)にある小原さんの実家に行ってきました。さし苗のために集まったのは9人。天気は曇り、風が心地よく最高に気の利いたコンディションでした。田んぼの中にカブトエビやコオイムシなど懐かしい生き物を見ることが出来てHAPPY!みんなでやればあっという間に終わり、お昼のカレーライスを食べに来たかのような一日でした。



Mr. 足軽と、

Mrs. 一等兵。

庭でカレーを食す。

偽りなき愛国心

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 23:05:35 │EDIT
 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」(ヨハネによる福音書1章47節)

 イエスは遠く離れた場所から、特別ないちじくの木(the fig tree)の下にナタナエルを見ました。ナタナエルの見たものは、葉は茂っていても実を結ばない、奇妙ないちじくの木だったのかも知れません。

 「ナタナエルよ。お前もその木を見たのか?あれはイスラエルの現状だよ。偽りの言ばかりで、行が伴わない政治家や宗教家の詭弁で満ちている。ところが君は違う。君は真実にこの国を憂いているのだろう。
どこに大義の指導者がいるか?エルサレムに失望した君は、今更ナザレなんかにどうして期待できるものかと言うのだろう。しかし私は君を知っている。君こそ真のイスラエル人だ。そして君は私をどう見るのだ?」

 ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。(ヨハネによる福音書1章48節)

 我が国を憂い、諫言をもって仕える真の愛国者は果たしてどれ程いるのでしょうか?この時ナタナエルはイエスに国家のビジョンを見たのです。

脱!こんな程度クリスチャン

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 22:46:22 │EDIT

 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。(エペソ人への手紙5章3節)

 キリスト教会でよく耳にする、「私たちは罪赦された罪人です」という言い方。だとすればキリスト者は未だ罪人なわけです。これはおかしい。聖書は罪赦された者を「新約の聖徒」と呼んでいます。

 「自分はまだ罪人だから仕方が無い」と、罪に対して無抵抗な人は自分に対する意識が間違っています。「私は聖徒なのだから」と意識する事によって、キリスト者のふさわしい歩みが始まります。

 失敗しても、罪を犯す事があっても、聖徒として成長を期待しましょう。 

愛の知識

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 18:13:33 │EDIT
 知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。(コリント人への手紙第一8章1節

 知的財産という言葉が示すように知識は私有化できます。しかし愛に私有化はありません。それは自分を他者に与える事だからです。ストーカーなどは相手を所有し、私物化しようとする行為であって愛を動機としません。

 愛は共存すること。共有すること。

 イエスが弟子達の足をお洗いになった時、ペテロは混乱の中にありましたが、ユダは冷静沈着でした。ペテロはイエスの言葉の意味を理解しませんでしたが、ユダは理解していました。ペテロはイエスを理解しようとしましたが、ユダは失望しました。ペテロはイエスと共にいましたが、ユダは去りました。ペテロはイエスを見捨て、ユダは裏切りました。ペテロの心は深く悲しみ、心に傷を負ったのですが、尚もイエスを慕い求めて愛しました。

 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネによる福音書21章15節~17節) 

 知識が牧師を造るのでなく、キリストへの愛が信任を与えるのです。

I have decided to follow Jesus;
I have decided to follow Jesus;
I have decided to follow Jesus;
No turning back, no turning back.

Tho' none go with me, I still will follow,
Tho' none go with me I still will follow,
Tho' none go with me, I still will follow;
No turning back, no turning back.

My cross I'll carry, till I see Jesus;
My cross I'll carry till I see Jesus,
My cross I'll carry till I see Jesus;
No turning back, No turning back.

The world behind me, the cross before me,
The world behind me, the cross before me;
The world behind me, the cross before me;
No turning back, no turning back.

公開?非公開?

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 16:26:51 │EDIT



 しかし、兄弟たちが祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。(ヨハネによる福音書7章10節)  



 ここに神の御業である主要な出来事を挙げてみましょう。その顕現は二つに分ける事が出来ます。

イエスの誕生      非公開(ユダヤ人・三賢者)
イエスのバプテスマ   公 開(ユダヤ人限定)
イエスの奉仕      公 開(ユダヤ人限定)
イエスの変貌      非公開(ペテロ・ヨハネ・ヤコブ)
イエスの十字架     公 開(公開処刑)
イエスの昇天まで    非公開(信者にだけ現れた)
イエスの聖霊内住    非公開(信者個人)
イエスの空中再臨    非公開(教会)
イエスの地上再臨    公 開(諸国民)


「公開」とは信者・未信者を問わないイエスの社会的活動や現れです。
「非公開」とは信者、或いはメシヤを待ち望む者に対するイエスの個人的活動や現われです。




 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ1章4節)

  神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
ローマ3章25節)

 特に「イエスの十字架」と「イエスの地上再臨」はキリスト教徒だけの問題ではありません。人間として生まれてきた以上、私たちは神と無関係ではないのです。


 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。(使徒の働き17章30節)





痛みを知る者の言葉

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 23:11:09 │EDIT

 愛をもって真理を語り…。(エペソ人への手紙4章15節)

 愛とは「自分より他者の利益を追求する事」と言っても間違いではないと思います。

 他者を思えばこそ「言ってはならぬ」のです。相手のキャパシティーを超えて語ってはなりません。

 また「言わねばならぬ」のです。たとえ自分の心が張り裂けても。言ったがために誹謗中傷される事になろうとも。

 私は、あなたのためにそしりを負い、侮辱が私の顔をおおっていますから。私は自分の兄弟からは、のけ者にされ、私の母の子らにはよそ者となりました。それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。(詩篇69篇7節~9節)


ギル釣り

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 13:40:11 │EDIT
5月15日は天気が良かったのでティルザを釣りに連れて行った。全くの初心者ならばブルーギルを狙おう。小鮎の群れが行き来しているので、そちらの用意もしてくれば良かったなぁ。
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聖書が記録する6000年間の歴史から、人生に必要な知恵を学んでいます。
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