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びわこバプテスト聖書教会

滋賀県大津市の教会です。聖書の学びを中心にした集まりを持っています。

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  posted by at 13:23:24 │EDIT
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集いの喜び

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 00:57:29 │EDIT
11月22日(金)小雪、気温-13℃。6:00起床。シャワーを浴びて8:00に朝食。冷蔵庫から出したリゾットにチーズをかけれて温めればドリア風に。取り出しましたる赤出しをマグカップでいただき、お腹の調子を整えるためヨーグルトを食べます。ご飯とみそ汁!胃腸が歓喜の声をあげる。体は正直だなぁ。コルソン夫妻はまだ寝てるのかな?ところでこの家の時計は15分おきに時報が鳴る仕組み。何で??
 10:00、ブッチャー家族とレッドディアーへ。郊外にある Extendicare Michener Hill( http://www.extendicarecanada.com/michener/ )という老人ホームを訪問しました。ここで毎週金曜日11:00から1時間の礼拝をします。ロブさんが歌と聖書の話を、子どもたちは楽器の演奏をします。彼らはこのボランティアを20年間続けてきました。時間になると車椅子の方々が50人も集まります。施設関係者4,5名に加えて、この日は教会から13人が奉仕にやってきました。

 
 マクドナルドで昼食をすませ、別に用事があったのでカルガリーまで往復4時間半。帰ってからブッチャー家で夕食にスパゲティー・ミートソースをいただきました。

 19:30からコルソン宅で Writer's Theater と称する読書感想会なるものに出席。いつも誰が来るかわからないのですが、今日は14人が参加しました。それぞれが本からの言葉や文章を紹介し、コメントや考察をします。目の前には紅茶とクッキー、周囲にはアンティークな照明やキャンドルが飾られ、落ち着いたムード。大人も子どもも一緒に語り合います。
 
 23:30就寝。今日もいろんな人と出会ったり、再開しました。

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カナダの家族

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 23:30:39 │EDIT
 11月21日(木)曇り。6:00に起床、シャワーの後、持ってきた荷物やお土産の整理をしました。8:30朝食。「朝は自分で好きなものを食べて下さいね。冷蔵庫の物は何でも使っていいですよ。」とマギーさんはお客様扱いしないからとても気楽でいいです。冷蔵庫から昨日の残り物をレンジでビーして、ヨーグルト、コーヒーを5分で食べ終えました。

 10:00にステイシーのスノータイヤ交換のため自動車工場へ。彼女はコルソン宅に来て、昼食まで時間を共にしました。ステイシーは事故などで脳に障害を受けた方々のリハビリやケアをしています。職場の経験を聞きながらいろいろと考えさせられました。昼食は昨日のスープ。そしてクラッカーにバターとマーマイトの取り合わせはGood。少ししょっぱい大人の味です。デザートはパイのはちみつ漬けのようなお菓子。…ギリシャのお菓子とか何とか…甘ーいのでした。

 15:00にボブ・クラークさんから電話。「まだ来ないのか?」「すみません。すぐに行きます。」慌てて家を出ました。彼の家はコルソン宅から歩いて4,5分のところにあります。お宅に到着すると「すぐ出るよ。ついて来て。」と車に乗ってレッドディアーまで。「君を引きずり回すのはいいね。」といつもからかってくれるので楽しい。ここでもお客扱いされないから心地良いです。やって来たのはホームセンター。超巨大な倉庫といった感じで日本のホームセンターの2~3倍はありそうな建物。ただし中は殺風景。受け取りにきた注文品は小型のスノーブロワーという機械でした。家の前の雪掻きをするための掃除機のようなもので、吸った雪を道路の脇に吹き上げます。一回やってみたいと思いまが、こき使われそうな気もします。

 17:30に夕食。ビーフとベジタブルのグレイビーシチューにパン。デザートはブラックベリーアイスクリーム。ボブ、ルツ、ジェニーの三人はご老人ギャグトリオ。とにかくギャグに付き合うためにいつでも笑える準備が必要です。22:00まで喋りっ放しで愉快。さすがに何度か眠たくなりきましたが、楽しく有意義な時間でした。また教会の皆さんからのお土産や写真を喜んで下さいました。ルツさんは睦美からの手紙を、何度も、繰り返し読んでは笑い涙ぐみ、宝物のようにして大事そうに持っていました。それを見てとても心打たれ、迂闊にも涙してしまうところでした。

 帰宅後、コルソン師と談話、一日の感謝を祈り、11:30就寝しました。

Lacombeで再会

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 01:37:42 │EDIT

 2週間前にカナダ行きを決めました。今回は一人旅。風邪をひきかけていたので、早めのパブロンで撃退。パッキングは深夜1時までかかって早朝4時起き。いつもこうなってしまいます。

 11月20日、始発5:03の電車で京都駅、5:50発の空港リムジンバスで大阪空港(伊丹)、8:15発のJAL便で成田空港、16:00発のエアカナダ便でカルガリーへ同日9:30に到着しました。これまでずっとバンクーバー経由だった私にとって乗り継ぎ一回はとても便利に感じました。成田空港で荷物を一旦受け取る手間も省けて良かったです。次のフライトまで6時間半の待ちましたが。 

 ロッキー山脈を下に見て、その先は粉砂糖を振りかけたような雪に覆われたアルバータ州の平野が広がります。カルガリーは-20℃、エドモントンは-30℃の機長アナウンスを聞いて、カナダに来たと実感しました。快晴!フィンランドの国旗のような青と白のコントラストは見事。昨日までは嵐だったそうです。

 コルソン師とスティーブが空港まで迎えに来てくれました。ここからラコームまで一直線のハイウェイを2時間。途中でティムハートンズのコーヒーを飲みながら。

 12:15、コルソン宅に到着。カナダの父と母の家に帰ってきたような気分。昼食に温かいスープとナッツたっぷりのパンにマーマイトを塗って食べました。


 昼食後はレッドディアーまでショッピングに。食材を買いまとめて夕方に帰宅。30分ほど仮眠して夕食です。マギーさんがわざわざお米料理を作ってくれました。クリーミーなチキンリゾットは胃に優しく有難いです。

 夕食を終えて19:30、今日から始まるバイブルコースに出席。「家で休んでもいいし、来てもいいがどうする?コースの間に居眠りしてもいいよ。ただしイビキはだめ。」懐かしい友人たちとの再会、初めて出会う人たちとの挨拶に忙しく、またイントロダクションから深い考察があり、とても興味深い内容に体は疲れていても頭と目の方は冴えてきました。

 23:00就寝。

アメリカの友人と

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 22:20:20 │EDIT
先程、アメリカの友人から写真が送られてきたのでアップします。真ん中のYoshihiro君がその友人。モンタナ州へレナに住んでいます。左隣にいるのは奥様。カナダで二日間、少し会っただけでしたが、同じキングジェームズ聖書を愛し、信仰を同じくするもの同士、すぐに打ち解けました。左横のカップルはYoshihiro君のお姉さんとそのご主人。お姉さんは日本語の発音がすごくきれいでびっくりしました。Yoshihiro夫妻はいつか日本に宣教師として期待と願ってます。

 6月7日、JR石山駅のベーカリーショップで珈琲を飲みながら、1時間半ほどでしたが有意義な時を過ごしました。たった一週間で勝浦(千葉県)と京都・大津の移動。Yoshihiro君、忙しかったね。

新しい礼拝と奉仕

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 16:02:19 │EDIT
 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、(ローマ人への手紙1章9節)

 霊をもって仕えているありますが、パウロは誰の霊について述べているのでしょうか?新改訳聖書では単に霊としか訳されていません。ある人は「もちろん聖霊のことでしょう。」と言います。ここで英語欽定訳聖書(King James Version)をチェックしてみましょう。

 For God is my witness, whom I serve with my spirit in the gospel of his Son, (The Book of Romans 1:9)

 ここでパウロは my spirit と言っています。ですからこれは聖霊ではなく、パウロ自身の霊です。キリストを信じた人はその霊が新しくされ生かされます。すなわち霊として本来の機能を回復し、聖霊との交わり(コミュニケーション)が出来るようになるのです。

 旧約時代の人々にはまだ信仰による新生体験がなかったので、神は人々に霊によって仕える事を要求しませんでした。その代わり、精一杯、心によって仕えるよう命令されたのです。

 イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。(申命記10章12節~13節)

 心を尽くして主に拠り頼め。(箴言3章5節)

 あるクリスチャンたちは新生しているにもかかわらず、それでもまだ一生懸命、心を尽くして神に仕えようとし、自らの力で頑張っています。真面目で神に対して熱心ではあるのですが、霊によって仕えることに関しては理解が不足しているようです。旧約的、律法的、宗教的と言えるでしょう。

 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。(ローマ人への手紙10章2節)

 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネによる福音書4章23節~24節)

 新約的、恵みによる礼拝とは霊によって仕えることです。あなたの霊的奉仕は聖霊の承認と証しを得ているでしょうか?


召命感がもたらす高き志し

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 17:08:18 │EDIT
 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。(ローマ人への手紙1章6節)

 神があなたを召される理由があります。
それは ①必要があるから ②能力があるから ③機会があるから です。

 また、神の奉仕をするためには聖くなければなりません。イエス・キリストはあなたを聖くする事が出来ます。私はこれまでに多くの説教者がこう言うのを聞きました。「私たちは罪赦された罪人です」と。???…ということは、結局のところ罪人なんだ。しかし聖書はクリスチャンを罪人とは言いません。「あなたがたは聖徒である」と。

 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。(ローマ人への手紙1章7節)

  「馬鹿者!」と「馬鹿な事を言っている」は同じではありません。「嘘つき!」と「嘘を言っている」や「能無し!」と「それが出来ない」も違います。前者は人格に触れ、後者は行為を扱うからです。行為の評価は最終判断ではないけれど、人格評価は決定的です。それをするのは神のみ。人が誰かにレッテルを貼って見下し、チャンスを奪おうとする時点で、神が最高議会において「裁く者」に判決を下すでしょう。

 兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。(マタイによる福音書5章22節)

 罪人が罪を犯すのと、聖徒が罪を犯すのとでは意味が違う。クリスチャンは罪を恥じてその振る舞いを改めるべきであり、自分を憂いて悲観に暮れるだけであってはいけません!「自分は罪人なのよ」を言い訳にして罪に負け続けるのは、召命感が希薄だからです。神に愛されている実感に乏しいのです。さあ、聖書の言葉によって思いを一新しませんか?

イエスマン VS アーメンマン

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 16:35:46 │EDIT
 このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。(ローマ人への手紙1章5節)

 「信仰の従順」は、この手紙の最初と最後(ローマ人への手紙16章26節)を飾る言葉です。

 イエスマンは自分の意見を持たぬ人、仰るとおりですを連呼して目上の人にご機嫌取り。でもアーメンマンは信仰の人、信念を持ってぶれない忠義の人です。聖書にあって信仰を働かせる言動一致の精神を「信仰の従順」というのです。

 アーメンとは「まことに」「真実である」「心から同意する」という意味です。

神の御子、実証す!

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 13:08:51 │EDIT
 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ人への手紙1章4節)

 キリストのもう一つの面である神性について見る事にしましょう。ここでは、死者の中から復活=大能の力=神の子という論理です。神は死にません。人間は死にます。ではキリストはどうでしょう?彼は死ぬことが出来て甦ることも出来た唯一のお方です。要するに神であるお方が、ある目的の為に自らの意思で人間となられたのです。何のために?彼を信じる人々を罪とその刑罰から救うためです。

 イエスの十字架の前で人々が提案した「神の子としての証明」は次のとおりです。

 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」(ルカによる福音書23章35節)

 すなわち危機からの回避です。しかし聖い御霊の提案は、自ら死の懐中に飛び込んで勝利するという真向勝負!死という絶望の淵からの見事な帰還でありました。何とダイナミック、人間の理解を超越した発想でしょうか!

 キリスト教の救いはイエスの教えに土台を置きません。イエスの復活の事実が土台なのです。キリスト教の勉強があなたを救うというのではありません。

 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ人への手紙10章9節)

 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。(コリント人への手紙第一15章14節)

 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)

 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(コリント人への手紙第一15章19節)

 主イエス・キリストの御名は誉むべきかな!

キリストのルーツ

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 23:34:58 │EDIT
 御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ…(ローマ人への手紙1章3節)

 Concerning his Son Jesus Christ our Lord, which was made of the seed of David according to the flesh; (The Book of Romans 1:3)

 イエスはダビデの子孫ではありません。ダビデの子孫とされたのです。確かにヨセフはダビデの血を引いていましたが、イエスの誕生においてヨセフは全く関係していません。そう、ヨセフはイエスにとって義理の父というべき人でした。むしろイエスの肉体についてはマリヤの胎との関係がありました。マリヤの先祖もダビデであったので、ダビデの子孫とされたのです。

 キリストがダビデの子孫として生まれる事は旧約聖書の預言によって明らかですが、ヨセフの系図(マタイによる福音書1章)よりもマリヤの系図(ルカによる福音書3章)が神によって用いられました。何故でしょう?

 まず、神はダビデの系図を呪われました。

 主はこう仰せられる。「この人を『子を残さず、一生栄えない男。』と記録せよ。彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ。」(エレミヤ書22章30節)

 また、創世記3章15節の「女の子孫」、ガラテヤ人への手紙4章4節の「女から生まれた者」という言葉は、キリストがマリヤから出た事と説明しています。

 イエスは聖霊によってマリヤの胎に入られました。これがキリスト教で極めて重要な教理、処女降誕なのです。キリストは人の子であり、また神の子です。

So Goooooooood News !

  posted by びわこバプテスト聖書教会 at 22:14:05 │EDIT
 この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。(ローマ人への手紙1章2節~3節)

 「良いニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちを先に聞きたい?」なんてアメリカ人がする会話をテレビで見たことありませんか?
 キリスト教では良いニュースの事を福音(ゴスペル)といい、新約聖書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書で始まります。ところで福音書を読んで「これのいったい何が福音なの?」と首を傾げる日本人も少なくないはず。

 ところで、今から聖書を読もうとするあなた。「旧約と新約があるんだけど、どちらから?」

 ユダヤ人なら誰でも旧約聖書から始めます。というより彼らの殆ど多くは新約聖書を読みません。なぜなら彼らはキリスト教徒ではなくユダヤ教徒だから。ところが異邦人(ユダヤ人以外の人)はユダヤ教の知識がなくても、いきなり新約聖書から入ってクリスチャンになる事だって出来てしまう。これも聖書で言われる恵みの一つです。

 「律法の話と恵みの話があるんだけど、どちらから聞きたい?」…いずれにせよどちらの話も聞くことになるでしょうね。

 もし誰かが神の律法基準に到達出来れば、死と滅びから解放されます。ところが神の義にふさわしいと認められた者は誰一人としてなかったのです。そしてこれまで誰もが死によって支配されてきました。これが律法を主題にした旧約聖書のストーリーです。
 
 さて、ここに人となられたイエスが神から遣わされて、キリスト(メシヤ・救世主)、すなわち人類の代表となりました。イエスは33年間の生涯を神と人との前におくり、全ての試み(テスト)を経て、律法をことごとく成就(合格)されたのです。それだけでなく過去・現在・未来における全人類の罪の支払いをする為に、身代わりとして十字架で死なれました。さらには御自分の義、すなわちイエスの成した全ての徳を信じる者に下さったのです。イエスは罪の為に死に飲み込まれたままでは終わらず、全ての償いを終えられて甦り、今も生きておられます!そしてこの地上で仕事を完遂さられた後、もとおられた天に帰って行かれました。これがキリストを主題にした福音書のストーリーです。

 この歴史的事実を受け入れ、自分自身と深く関連付けて信じる時、あなたは救われます。すなわち魂において神と共に永遠に長らえるのです。

 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていて私を信じる者は決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネによる福音書11章25節~26節)

 これはちょっとした良い話なんてものではありません。全人類に対して公布されるべき新しい契約の福音なのです。「何かええ話ありまっか?」-勿論ありまっせ!

プロフィール
HN:
びわこバプテスト聖書教会
性別:
非公開
自己紹介:
聖書が記録する6000年間の歴史から、人生に必要な知恵を学んでいます。
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