posted by びわこバプテスト聖書教会
at 13:08:51 │
EDIT
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ人への手紙1章4節)
キリストのもう一つの面である神性について見る事にしましょう。ここでは、死者の中から復活=大能の力=神の子という論理です。神は死にません。人間は死にます。ではキリストはどうでしょう?彼は死ぬことが出来て、甦ることも出来た唯一のお方です。要するに神であるお方が、ある目的の為に自らの意思で人間となられたのです。何のために?彼を信じる人々を罪とその刑罰から救うためです。
イエスの十字架の前で人々が提案した「神の子としての証明」は次のとおりです。
民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」(ルカによる福音書23章35節)
すなわち危機からの回避です。しかし聖い御霊の提案は、自ら死の懐中に飛び込んで勝利するという真向勝負!死という絶望の淵からの見事な帰還でありました。何とダイナミック、人間の理解を超越した発想でしょうか!
キリスト教の救いはイエスの教えに土台を置きません。イエスの復活の事実が土台なのです。キリスト教の勉強があなたを救うというのではありません。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ人への手紙10章9節)
そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。(コリント人への手紙第一15章14節)
そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(コリント人への手紙第一15章19節)
主イエス・キリストの御名は誉むべきかな!
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