posted by びわこバプテスト聖書教会
at 17:08:18 │
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あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。(ローマ人への手紙1章6節)
神があなたを召される理由があります。
それは ①必要があるから ②能力があるから ③機会があるから です。
また、神の奉仕をするためには聖くなければなりません。イエス・キリストはあなたを聖くする事が出来ます。私はこれまでに多くの説教者がこう言うのを聞きました。「私たちは罪赦された罪人です」と。???…ということは、結局のところ罪人なんだ。しかし聖書はクリスチャンを罪人とは言いません。「あなたがたは聖徒である」と。
ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。(ローマ人への手紙1章7節)
「馬鹿者!」と「馬鹿な事を言っている」は同じではありません。「嘘つき!」と「嘘を言っている」や「能無し!」と「それが出来ない」も違います。前者は人格に触れ、後者は行為を扱うからです。行為の評価は最終判断ではないけれど、人格評価は決定的です。それをするのは神のみ。人が誰かにレッテルを貼って見下し、チャンスを奪おうとする時点で、神が最高議会において「裁く者」に判決を下すでしょう。
兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。(マタイによる福音書5章22節)
罪人が罪を犯すのと、聖徒が罪を犯すのとでは意味が違う。クリスチャンは罪を恥じてその振る舞いを改めるべきであり、自分を憂いて悲観に暮れるだけであってはいけません!「自分は罪人なのよ」を言い訳にして罪に負け続けるのは、召命感が希薄だからです。神に愛されている実感に乏しいのです。さあ、聖書の言葉によって思いを一新しませんか?
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