私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、(ローマ人への手紙1章9節)
霊をもって仕えているありますが、パウロは誰の霊について述べているのでしょうか?新改訳聖書では単に霊としか訳されていません。ある人は「もちろん聖霊のことでしょう。」と言います。ここで英語欽定訳聖書(King James Version)をチェックしてみましょう。
For God is my witness, whom I serve with my spirit in the gospel of his Son, (The Book of Romans 1:9)
ここでパウロは my spirit と言っています。ですからこれは聖霊ではなく、パウロ自身の霊です。キリストを信じた人はその霊が新しくされ生かされます。すなわち霊として本来の機能を回復し、聖霊との交わり(コミュニケーション)が出来るようになるのです。
旧約時代の人々にはまだ信仰による新生体験がなかったので、神は人々に霊によって仕える事を要求しませんでした。その代わり、精一杯、心によって仕えるよう命令されたのです。
イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。(申命記10章12節~13節)
心を尽くして主に拠り頼め。(箴言3章5節)
あるクリスチャンたちは新生しているにもかかわらず、それでもまだ一生懸命、心を尽くして神に仕えようとし、自らの力で頑張っています。真面目で神に対して熱心ではあるのですが、霊によって仕えることに関しては理解が不足しているようです。旧約的、律法的、宗教的と言えるでしょう。
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。(ローマ人への手紙10章2節)
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネによる福音書4章23節~24節)
新約的、恵みによる礼拝とは霊によって仕えることです。あなたの霊的奉仕は聖霊の承認と証しを得ているでしょうか?
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