この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。(ローマ人への手紙1章2節~3節)
「良いニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちを先に聞きたい?」なんてアメリカ人がする会話をテレビで見たことありませんか?
キリスト教では良いニュースの事を福音(ゴスペル)といい、新約聖書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書で始まります。ところで福音書を読んで「これのいったい何が福音なの?」と首を傾げる日本人も少なくないはず。
ところで、今から聖書を読もうとするあなた。「旧約と新約があるんだけど、どちらから?」
ユダヤ人なら誰でも旧約聖書から始めます。というより彼らの殆ど多くは新約聖書を読みません。なぜなら彼らはキリスト教徒ではなくユダヤ教徒だから。ところが異邦人(ユダヤ人以外の人)はユダヤ教の知識がなくても、いきなり新約聖書から入ってクリスチャンになる事だって出来てしまう。これも聖書で言われる恵みの一つです。
「律法の話と恵みの話があるんだけど、どちらから聞きたい?」…いずれにせよどちらの話も聞くことになるでしょうね。
もし誰かが神の律法基準に到達出来れば、死と滅びから解放されます。ところが神の義にふさわしいと認められた者は誰一人としてなかったのです。そしてこれまで誰もが死によって支配されてきました。これが律法を主題にした旧約聖書のストーリーです。
さて、ここに人となられたイエスが神から遣わされて、キリスト(メシヤ・救世主)、すなわち人類の代表となりました。イエスは33年間の生涯を神と人との前におくり、全ての試み(テスト)を経て、律法をことごとく成就(合格)されたのです。それだけでなく過去・現在・未来における全人類の罪の支払いをする為に、身代わりとして十字架で死なれました。さらには御自分の義、すなわちイエスの成した全ての徳を信じる者に下さったのです。イエスは罪の為に死に飲み込まれたままでは終わらず、全ての償いを終えられて甦り、今も生きておられます!そしてこの地上で仕事を完遂さられた後、もとおられた天に帰って行かれました。これがキリストを主題にした福音書のストーリーです。
この歴史的事実を受け入れ、自分自身と深く関連付けて信じる時、あなたは救われます。すなわち魂において神と共に永遠に長らえるのです。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていて私を信じる者は決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネによる福音書11章25節~26節)
これはちょっとした良い話なんてものではありません。全人類に対して公布されるべき新しい契約の福音なのです。「何かええ話ありまっか?」-勿論ありまっせ!